魔訶不思議! 密教と大乗仏教の成立起源 驚くべきエピソードがズラリ
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インド起源の密教と大乗仏教は、果たしてどのようにして成立したのでしょうか?

その起源には実に驚くべき不思議なエピソードや、超能力・霊的能力などが関与しています

それでは、密教の起源成立を知るために、大乗仏教の起源から解説したいと思います。

大乗仏教の起源 龍樹の竜宮伝説

龍樹(ナーガールジュナ)は、150-250年ごろに南インドのバラモンの家に生誕。

類まれな才能に恵まれ、どのような内容も一度聞いただけで理解できるほどの天才的な傑出した人物でした。

そのため、彼の名声は国中の多くの人々に知れ渡りました。

また、地理学、占い、預言、その他多くの学問を習得しており、一方では魔術師から様々な呪術も授かりました。

竜樹は、ありとあらゆる仏教の経典を読み漁り、そのスピードの早いこと、たとえば小乗の仏典をわずか90日で読破したといいます

まるで空海のような学問とスピリチュアル性の両方を兼ね備えた天才ですね。

ちなみに、ナーガとは龍の意味で、ジュナは中国語の樹の発音に近いので「龍樹」と訳されたそうです。

龍樹が大乗仏教の教えを授かったとする起源は龍宮伝説にあります。

龍宮伝説(龍宮で経典を授かる)

龍樹は、「仏の経典は素晴らしいけれども、そこにこの世の真理の全てが書かれているわけではなく、完全な教えではない。まだ真理として学ぶべきことがある」という想いでいました。

そこで、彼は仏教の新しい派閥を創立しようとしました。

しかし、これを見ていた大龍菩薩(マハーナーガ)が、龍樹のことを哀れに思い、海の中の竜宮城に連れてゆきます。

海の中の竜宮城とは、まるで、浦島太郎や山幸彦のような話に似ていますね。

さて、竜宮城にたどり着いた龍樹は、七つの宝で飾られた蔵と、七つの宝で飾られた箱を見せられました。

龍と七つの宝とは、まるでドラゴンボールの世界ですね!

さて、龍樹がそれを開くと、素晴らしく奥深い経典が数え切れないほど多くありました。これこそが密教の起源です。

龍樹は竜宮城でこの経典を読み漁り、やがて南インドに戻されます。

そして、このお経を布教することを始めます。

個人的な話ですが、以前、何かの本のまとめをニフティサーブで読んだときに、日本の竜宮伝説の話はUFOで宇宙人に連れられたエピソードの可能性がありうる、ということらしいです。

当時はUFOという概念がありませんので竜宮という表現にしたのだとか・・・。ただし、龍樹がそうであったかはわかりませんのでひとつの可能性にとどめておきます。

密教の起源 開祖 龍猛の南天鉄塔伝説

人類として初めて密教を授かったのは龍猛(りゅうみょう)と言われています。

龍猛は2世紀ごろの南インドのバラモンの家に生まれたので若い頃はバラモン教に触れていましたが、欲を捨ててヒマラヤ山中に向かって出家しました。

どうやら、龍樹と似ているようです。

このように、一般的に龍猛は龍樹と同一人物であるとされていますが、ごく一部では否定する意見もあるようです。

なぜなら、龍樹は2世紀ごろの人なのに、密教は7世紀頃に成立したからです。

密教では「龍樹」ではなく「龍猛」という表記を用いることが多いです。

南天鉄塔伝説(鉄塔の中で密教を授かる)

さて、密教の起源は大日如来ご自身とされています。

大日如来はこの宇宙の法を灌頂という儀式を通して金剛薩埵(こんごうさった)に授けられました。

もちろん、金剛薩埵とは霊的存在であって、地上に住む人間ではありません。

金剛薩埵は、大日如来から授けられた秘密の教えをインドの南にある鉄塔の中におさめられ、この教えを広めるのに相応しい人が出現する時期を待っておられました。

この鉄塔は「南天の鉄塔」とも呼ばれています。

鉄塔といっても、現代の送電線のような鉄塔のイメージとはまったく違い、れっきとした寺院のような形をした格式のある鉄塔です。

この鉄塔は金剛薩埵によって厳重に守られ、扉は硬く閉ざされていました。

龍猛は、鉄塔の前で芥子(けし)の実を使って呪文を唱え、この鉄塔を開けることに成功しました。

そして、龍猛はこの鉄塔のなかで金剛薩埵から密教経典を授かりました。

これによって、人類の手に真言密教の奥義が授かったことになります。

ちなみに、龍猛は300歳まで生きたそうです。

それにしても、龍猛と龍樹、何やらどこか似ているエピソードですね。

なお、密教の『金剛頂経』や『大日経』などは7世紀頃の成立と言われています。(金剛頂経は、大乗仏教の密教部経典です。)

そのため、密教が初めからすべて完成されたものではなく、少しづつ洗練されてきたようです。

なお、金剛薩埵は普賢菩薩と同一、あるいは普賢菩薩の前身であるとされており、密教では特別な存在に位置します。

金剛薩埵のご真言 オン・バサラ・サトバ・アク
普賢菩薩のご真言 オン・サンマヤ・サトバン

これは個人的な意見ですが、人類でない霊的存在の金剛薩埵が物理的な経典を鉄塔内にたくさん用意されていた・・・とするのは少し現実離れしている印象です。

なので、実際には霊的能力の優れた龍猛が金剛薩埵から、霊的な啓示・あるいは現代風でいえばチャネリングで教えを授かった可能性がありそうです。

古代からインドでは、神仏と直接会話できる能力の人がいて、霊的能力が抜群な人はラマヌジャンのように人類未発見の公式や数式を多数、神から授かることもあります

なので、金剛薩埵と龍猛の存在は、人類にとって非常に価値があるありがたい存在であるのです。

密教の起源 第2祖 龍智

龍猛より灌頂を授かり、密教の正統な後継者となったのが龍智です。

龍智は魔訶不思議な神通力を獲得して700歳まで生きたと言われています

留置はこの年齢まで生きたために、後々の後継者の不空三蔵とも出会ったようです。

玄奘三蔵と龍智が出会うまでのエピソード

当時、西遊記で有名な唐の僧侶・玄奘三蔵(三蔵法師のモデルとなった人物)は、唐から出国の許可が得られませんでした。

しかし、玄奘三蔵は役人の目を盗んでなんと無断でインドに向けて出国しました

やがて、インドへの道中高昌という国にたどり着くと、国王の文泰は熱心な仏教徒であったために、玄奘三蔵を手厚くもてなします。

そしてなんと、インドへの旅が成就するように、各国での保護を求める文書を持たせたほどだったようです。

その後、玄奘三蔵は長い旅を経てインドに到着し、龍智は玄奘三蔵と出会いました

そこで、龍智より『中観論』『百論』など密教の教えを伝授されましたので、歴史的な意義は大きかったといえるでしょう。

ただし、密教の後継者として龍智の後を継いだわけではありません。

玄奘三蔵はなんと657部もの経典を写して仏像とともに唐に持ち帰りました。

唐から出たときは、30人規模だったのですが、旅の途中で遭遇した獣や自然災害などによって唐に帰ってきたのは玄奘三蔵ただ一人だけでした。

また、達磨掬多として善無畏三蔵に『大日経』を伝授したのも龍智と言われています

龍智の超能力は、密教の八祖のなかで一番優れていたと言われています。

密教の起源 第3祖 金剛智三蔵

インド中部の王子だった金剛智は、十歳で出家して仏教の道に入りました。

金剛智三蔵という名前からすると唐人のように思われますがインド出身の方です。

出家してからは数多くの経典を読破し、やがて31才のときにインド南部で龍智より伝法灌頂を受けて、正式な後継者となります。

また、霊的能力に秀で、金剛さったと会話できたといいます。

ある日、観音様が金剛智三蔵に現れて、「唐で仏法を広めなさい」とお告げを受けました。

そこで、お告げの通りインドから唐に向かい、長安や洛陽で布教して多くの密教の経典を翻訳しました。また、唐で帰天されたそうです。

おわりに

いかがだったでしょうか?

このように、密教の起源には様々な不思議なエピソードがあったことがよくわかります。

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